言わずと知れたフランソワーズ・サガンの名作である。パリを舞台に揺れ動く男女の恋模様が描かれている。
三十九歳のディスプレイ・デザイナー、ポール。彼女の恋人ロジェはポールを愛しているが気まぐれで浮気。そこへ二十四歳の美青年、シモンが現れる。彼はポールに真剣に恋し、アプローチを始める—
不思議なことに、ぼくはこの話を読んでいてシモンにいちいち苛々させられた。ポールとロジェは恋人関係とはいえ、ロジェは彼女に嘘をついて浮気相手と旅行に行くような男である。ポールが愛想を尽かすのもわかる。シモンの恋心はいたって純粋であり、読み手のぼくが自分自身を重ねても良いはずなのだ。
それなのにシモンを好きになれなかった。
何故だろう、と考えた時、まず余りに気障すぎたのだ、と思った。台詞や行動がいくらひたむきな想いから来たものだとしても痛々しい。内向きなぼくとは相容れないタイプなのだ。
ロジェの浮気症は確かに到底理解できるものではないが、なんとなく不器用なロジェの人間味あるキャラクターは嫌いになれなかったのだ。もちろん、フィクションとしてだが。
この小説、『さよならをもう一度』のタイトルで映画化されており、その時にメインテーマとして使われたのがブラームスの交響曲第3番第3楽章であった。小説本編では交響曲第3番は登場せず、ただ「協奏曲」(おそらくヴァイオリン協奏曲)とあるのみだ。ところがどうして、この楽章の遣る瀬無さと切なさは、パリの香りに満ちた大人のストーリーによく似合っている。起用した人に拍手したい(尚、劇中のオーケストラの演奏シーンではなぜか交響曲第1番が演奏されていた。劇伴音楽と劇中の音楽を区別する意図があったのだろうか)。
そんなわけでぼくはコーヒー片手に、名古屋から乗った新幹線の中でこの本を読了した。読むには若すぎたのかもしれない、とも思う。また十年後、二十年後なら新しい読み方ができるのかもしれない。—貴方は、ブラームスはお好きですか。