遥か、もち巾着。

もしもって思ったら何かが変わるわけでもないし

枕詞「どうせぼくなんて」

ぼくが後ろ向きなことを言うと色々と意見をもらうのだが、所詮ぼくからしたら皆人生の成功者なので色眼鏡でしか見れない。ぼくが欲しいのは解決策ではなくて同意なのだ。

 

今日、閉館まで大学図書館にて基礎文献を読んでいた。するとふと、悲しくなったのだ。こんなことをして何になるのだろうと。いくら独語の専門書を読んだところでぼくはただの落ちぶれた学生である。これから先、例えばぼくに好きな人ができたとして、でもきっとその人はぼくではない誰かの胸に抱かれるのだ。あるいは、ぼくと仲の良い(と信じている)人は、ぼくではない友人と盃を交わすのだ。ぼくが机に向かっている間に。そう考えると空しくて空しくて、涙が出てきた。どうせ誰もぼくを理解しないのである。

 

ちょっと前まで、流石に一生誰ともお付き合いしないということはないだろうと思っていた。もっと言うと、以下のような妙にリアルな想像さえしていた。

三回生後期〜四回生くらいで一人目とお付き合いする。数ヶ月で愛想を尽かされる。院に行ったあと、二人目とお付き合いする。そこそこ長く続くが、ぼくがうだうだしているうちにマンネリ気味になって別れる。以上。

根拠は一切ないが、何故かこんな感じがしていた。しかし、今ではそれは所詮妄想だったことを悟っている。ぼくは誰ともお付き合いできない。彼女などできず、誰からも愛されず、ついでに一生童貞のまま死んでいく方がリアルなのだ。

今日、やっと髪を切ったのだが鏡には相変わらず不細工な青年が映っている。いくら髪の毛がすっきりしたところで見てくれの悪さは変わるものではないのである。「三色チーズ牛丼の特盛に温玉付き」男の画像を見ると心が苦しくなる。他人から見たぼくはアレなのだ。お手洗いに行くたびに、朝起きて顔を洗うたびに、信号待ちでショーウィンドウを見るたびに、ぼくは気分が悪くなる。

かっこいいと言われたことはないが可愛いとは何故かそこそこ言われる。所詮他者のぼくを見る目は好奇の目なのである。珍しい生きものは動物園でたまに見るから良いのだ。恒常的にいても鬱陶しいだけなのである。

 

何度、下宿の台所から居間に入るドアのノブにロープを括り付けて反対側に垂らし、首を吊る想像をしただろう。結局、死ぬのが怖いせいで幸か不幸か何の行動も起こしていない。別に将来的に名の残る業績なんて無くてもいい。立派な美術史家にならなくたっていい。金持ちにならなくたっていい。ただ、ぼくは素敵な人に愛されていたかっただけなのに。