遥か、もち巾着。

もしもって思ったら何かが変わるわけでもないし

ドホナーニの交響曲第2番に思うこと

今年に入ってからショスタコーヴィチ交響曲第7番「レニングラード」とプロコフィエフ交響曲第5番の実演に相次いで触れる機会があった。両者はともに第二次世界大戦中に書かれた交響曲である。前者は戦争をかなり直接的に描写しているし、後者もプロコフィエフ 自身が「戦争が始まって、誰も彼もが祖国のために全力を尽くして戦っているとき、自分も何か偉大な仕事に取り組まなければならないと感じた」と語っているため、多かれ少なかれ戦争と結びつく作品である。この2曲に触れたぼくは、不意にある作品を思い出した。ドホナーニ・エルネー、又はエルンスト・フォン・ドホナーニの交響曲第2番である。

 

ドホナーニの交響曲第2番に出会ったのはある音楽学の講義だった。ナチに対抗した闘士である長男ハンスや高名な指揮者である孫クリストフを含めたドホナーニ家を総覧する内容だった。

ドホナーニが生まれたのは当時オーストリアハンガリー二重君主国のハンガリー領内であったポジョニ(今のスロヴァキア共和国首都・ブラチスラヴァ)。幼い頃から音楽の才能を発揮し、ピアノ五重奏曲は若書きでありながらブラームスに絶賛されるほどであった。また、バルトーク・ベーラとはギムナジウム時代からの友人であった。

ハンガリー独立後、ドホナーニはバルトークコダーイゾルターンと並んで楽壇の中心で活躍する。この3人はいわば20世紀ハンガリー音楽の顔であったのだ。

それなのに、こんにちバルトークコダーイほど顧みられていない。何故だろう。

 

一つには生涯形式と調性を維持した保守的な作風を貫いたため、音楽史上そこまで重要とはみなされなかったためであろう。しかしもう一つ、重要な原因がある。政治的理由である。

 

ドイツのポーランド侵攻に端を発した第二次世界大戦ハンガリーは枢軸側についた。戦局は次第に悪化し、史上最悪の包囲戦のひとつ、ブダペシュト包囲戦が始まる。

ドホナーニの交響曲第2番は戦火の下のブダペシュトで書き始められた。つまりこの交響曲は、状況だけ見ればショスタコーヴィチの7番「レニングラード」にも匹敵するのである。その後彼はナチの武装親衛隊に護衛されて—この行動が彼が戦後ハンガリーで顧みられない原因となるのだが—ウィーンへ逃れ、そこで続きを書く。

現在演奏されている楽譜は1955年、アメリカへ亡命した後に改訂されたものであるため、どの程度戦中のスコアと一致するのかは分からないがひとまず曲を聞いていくこととしよう。なお、参照した音源はアレクサンダー・ヒネメス指揮・フロリダ州立大学交響楽団NAXOS 8.573008)である。同ライナーノートも参考にした。

 

第1楽章。勇壮だがどこか不安定な第1主題に開始する楽章である。対する第2主題は上品で、音楽はこの2つの主題を「対決」させるように進む。注目すべきは展開部で突如現れるスネアドラムである。スネアドラムが戦争を想起させることはニルセンの5番、ショスタコーヴィチの7番や8番という例を出すまでも無い。ドホナーニ自身はあくまでこの作品を純粋な音楽作品として書いたはずだが、このスネアドラムにはどうしても何か暗示めいたものを感じてしまうのである。

第2楽章は牧歌的で美しい。作曲者本人が「楽園のエヴァ」を描いたと語っている。しかし彼女は原罪を犯し、その楽園を追放されるということを我々は知っている。

第3楽章。皮肉で滑稽なスケルツォである。トロンボーングリッサンドはなんとなくバルトークの《管弦楽のための協奏曲》の「中断された間奏曲」のそれと同じような印象を受ける。木管楽器の耳をつんざくような高音も極めてグロテスクだ。一方、音楽は淀みなく一定のテンポで進んでいく。まるで機械であるかのように、何かに支配されているかのように。時折聞こえるバスドラムのリズムはモーツァルトの頃から戦争の象徴であったトルコ行進曲のリズムだ。ドホナーニ自身によれば、この楽章は第2楽章の対極であるという。楽園を描いた第2楽章と真逆の存在、それは現実なのでは無いだろうか。この楽章が書かれたのは死と隣り合わせの戦火の下のヨーロッパだ。ドホナーニの息子はナチに抵抗したために殺されている。権力と暴力が蔓延る世界を滑稽に描いているのでは無いか。

この楽章はBurla—嘲り—と名付けられている。ドホナーニは何を嘲笑しているのだろうか—

 

第4楽章はまるで溜息のような下行音型の旋律が支配している。この旋律はJ.S.バッハの「来たれ、甘き死よ」(BWV478)であり、本楽章はその変奏曲となっているのだ。その歌詞は「私はこの世に疲れました。どうか来て眼を閉じてください」という内容である。大戦の最中、もはや生きることに疲れてしまったようにも受け取れる。音楽は突如、勇壮な行進曲となり華々しく集結する。本人曰く、「死に対する生の勝利」だという。

 

ドホナーニはこの作品の意図について、愛読書であった『人間の悲劇』から「偉大な闘いの終わりには終着地がある。終着地は死であり、生きることは闘争である」との一文をひいている。ここから考えると、死の到来は恐れるものではなく闘争への勝利であり、むしろ歓迎すべきもののようにも思える。現実は闘争に満ち、悲惨なものであった。死とはそこから逃れることであり、「来たれ、甘き死よ」を引用したことは死を待ち望むが故と考えても不都合はない。

それでも、ドホナーニは最後には「生」の勝利を描いた。戦争を目の当たりにし、息子を失った事実を踏まえると「生の勝利」というテーマはかなり重い意味を持つだろう。

 

ドホナーニは、この作品と第二次世界大戦の関係については何も述べていない(はず)で、これはぼくが勝手にあれこれ考えたことである。しかし、ショスタコーヴィチプロコフィエフがソヴィエトで大作を書き上げたのと同時期に、ヨーロッパの反対側の陣営でこうした交響曲が書かれている事実はなかなか考えさせられるものがある。

 

参照したCD↓

https://ml.naxos.jp/album/8.573008

 

BBCフィルの録音もあります(タワーレコードで頼んだら在庫がなくキャンセルになってしまいましたがAmazon確認したら普通にありましたね…)

https://ml.naxos.jp/album/CHAN9455