多分自宅の玄関のドアには見えないスイッチがあって、そこでぼくは頭を切り替えているのであろう。そう思った。
家で勉強ができないのだ。
家の外では身の回りは整えるし、勉強もできるし、完璧に振る舞えているとは言えなくとも社会についていけるだけの器量は持ち合わせていると思っている。ところが、家の中ではてんで駄目なのである。整理整頓だとか掃除だとか洗濯だとか、そういったことを常にこなせたことがない。勉強も持続してできた試しはほぼない。どれか一つができると他のことはできない。そんな自分に泣きたくなることもしばしばである。
外面をなんとか取り繕う分だけ内側は崩れていくもので、内側に籠りっぱなしのこの自粛生活ではどんどん気力が失われていくのを感じる。頭痛になる回数も心なしか増えたようだ。ただコーヒーの消費量だけが増えていく。
そんな中でも当然時間は流れていくので何か果実となることをしなければならない。今飲んでいるコーヒーは別に何の成果も生みはしないのだ。
そんなわけで、一日一本は軽めの日本語論文を読むことにした。有難い(?)ことにバウハウスという分野はちょっとドイツ語をかじっていれば割と誰でも研究テーマにしてしまうのでCiNiiやらJ-Stageやらで調べるだけで大量の論文が引っかかるのだ。ちなみにこの行為の目的としてはその論文を吟味する以上に、参考文献として何が挙げられているのかを知る意味が強い。そうすれば自ずと読むべき文献のリストが出来上がるという算段だ。
しかしまあこういうことをしていると研究室と図書館が恋しくなるものである。実習や実験が物を言う学部ではないもののやはり多少苦しいところはある。
明日はもう少し佳い人になっていますように。