遥か、もち巾着。

もしもって思ったら何かが変わるわけでもないし

春、理想的な1日

珍しく早起きができた。それだけで気分が良いというものである。
顔を洗い、コーヒーを淹れる。友人に貰った美味しい食パンにマーガリンを塗り、一つにハムとチーズを、一つに砂糖をかけてトースターで焼く。なんと理想的な朝であろうか。
春の日差しが暖かいせいで、また慣れない早起きをしてしまったせいでまだ眠たい。1時間と少し、早すぎる昼寝をしてしまった。起きてみるとまだ昼前だ。市立図書館に本を返しに行くことにする。
自転車は生憎パンクしているので電車に乗らねばならない。二つの駅のちょうど間に位置する拙宅はどちらに行くにも10分と少しかかる。
外はどこまでも春だった。玄関先の雪柳は露に濡れ、背の低い植木の葉のクチクラ層はつやつやと光り、七分咲きの桜はその愛しい花弁を風に揺らしている。
大手私鉄の本線から三駅だけ伸びた支線は長閑なものだ。10分おきに往復する4両編成の栗色の列車の中では少し時間がゆっくりと流れている気持ちになる。
終着駅から商店街を抜けて図書館へ向かう。歩いて行くには遠いが自転車ならばちょうど良い距離にある図書館だ、早くパンクを直しに行こう。
本を返すともう昼食を摂っても良い時間になっていた。駅前のカレー屋で3種のカレーをかけたプレートを食べる。具材とスパイスに拘っていることはその方面に明るくない僕でもわかる。気分が良いので地ビールも注文した。スタウトの香ばしい味わいが昼飲みの心地よい背徳感を加速させる。
程よくアルコールが入ったところで滝道を散歩することにする。駅からおよそ3キロのところに大きな滝があり、それまでの道か滝道と呼ばれているのだ。3キロは決して長い距離ではないが、そこまで歩くつもりはない。道の入り口の商店を見て回ろうと思ったのだ。
あちこちでパチパチと油の音がする。名物紅葉の天ぷらが揚がる音だ。これはなかなか美味いものだが今回はスルー。
気に入っている古本屋に行こうと思ったが土日祝日のみの営業だったのをすっかり忘れていた。仕方なく渓流沿いを奥へと進んでいく。温泉を備えた大きなホテルへ連絡するエレベーターや年季の入った旅籠の側を過ぎると、川に向かって下る階段の先に喫茶店が一軒建っている。前々から入ってみたいと思っていたのだ。
茶店の中は広々としていて、そして落ち着いた雰囲気だった。調度品はどれも小洒落ており、川に面した窓辺にはコーヒー器具が並んでいた。マンデリンを2杯分頼み、しばし休息する。
窓の外からは春の川面が見える。桜、それから新緑。なんとなくlebhaft、という単語が頭をよぎる。
一息ついたところで店を出て、梅田へ向かうこととする。今日はどのみち演奏会に出向くために梅田に出なければならないのだが、その前に阪神百貨店で行われている古書市を見ておきたかったのだ。
平日とはいえ、そしてこのご時世でも、梅田は人で溢れていた。自分とてあまり人を笑えたものではないのだが。実は阪神百貨店に行くのは初めてなのでなんだか緊張しつつ、エスカレーターに乗る。
古書市は案外空いていた。建築・美術系の本が割合多かったのは嬉しいところだが少し高い。時間をかけてクレー書簡集や1960年代の海外旅行ガイドなど数冊を見繕い、レジに並ぶ。ずっしりと重たい紙袋を片手に阪神百貨店を後にする。
梅田から福島のザ・シンフォニーホールに向かうには現在再開発中の北梅田を通過することとなる。かつて貨物駅があったそこは、通るたびに仮道路のルートが変わるほど変化が激しい。ここ5年間歩いてきたことになるが、工事が終わるのにはまだ後2年かかるらしい。
福島はオフィスと飲食店と住宅とがごったになっている割に梅田を挟んだ反対側の天満よりも整然とした印象を受けるから不思議だ。大通りから並木のアプローチが延びた先にホールはある。
本日のプログラム、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番とフランクの交響曲はいずれも高校時代から好きな曲だ。前者は長大で甘美に過ぎると言われることも多いと思うが、旋律美にしても管弦楽法にしてもラフマニノフらしい作品だと思う。リズムや旋律の面で交響曲第2番と共通する要素があるのも気に入っているところ。後者は演奏時間に比してかなりの重みを持った曲だと思う。楽器の重ね方や和声はオルガン奏者の作品であることを思い出させる。循環形式や各楽章の主題の回帰はこの作品がよく考え抜かれた構成の上にあることの証左だろう。個人的には終盤の第3トロンボーンの高音域の主旋律をつい聴いてしまう。一種の職業(ではないが)病だ。
演奏内容は水準も熱量も満足のいくものだった。ほくほくとした気持ちで帰路につく。肌触りのいい緑色のシートに身を預けながら。

この文章を書き始めてから2ヶ月が経ったが、その後府下の感染者数は急増し、梅田に出るだとか演奏会に行くだとか、そう言った日々の中でのちょっとした楽しみを断念せざるを得ない状況となっている。今はもう少し、部屋の中にこもっていることにしよう—そう思った。