遥か、もち巾着。

もしもって思ったら何かが変わるわけでもないし

今朝、野を行けば

修論を提出して10日が経つ。すっかり気が抜けてしまったのだが、実は来月の頭に院試があり、わずか2週間少ししか準備期間が残されていないので案外余裕はない。修士課程を受ける際は一応半年ほどかけて準備したのだが、今回は気づいてみたらそんな時間はなかった―主に修論の進捗が芳しくなかったために。しかし当然ながら問題は当然博士課程入試のほうが難しいので軽く絶望しながら毎日を過ごしている。本当は勉強に集中すべきなのだろうとわかっていつつも、それを実行できずに早10日が過ぎたのだ。

ドイツ語の勉強をきちんとやらねば―とか、もし落ちたらどうするんだろう―とか、仮に受かっても人生どうするんだろう―とか、留学したいけど金と語学はどうしよう―とか、目先のことから数か月、数年先のことまで大小の将来の不安を抱えているのに、何一つ具体的な行動に移せていない自分に苛立ちつつ、それでも僕は昨日、大阪・福島はザ・シンフォニーホールに向かっていた。古巣の大学オケの定期演奏会があったのである。
メインはマーラー交響曲第1番。120回記念定期演奏会、ということで大阪で最も有名な音楽ホールでこの大曲を演奏できる後輩たちを単純にうらやましく思う。
さてマーラーの1番と密接に結びついている作品が歌曲集「さすらう若人の歌」である。マーラー交響曲第1番自体は前提知識(「さすらう~」からの旋律の引用や、もともとはジャン・パウルの小説『巨人』から表題を取った音詩であったこと等)抜きに作品を見れば、現在は表題を持たない交響曲として完成されているが、一度「さすらう~」の存在を知ってしまった僕は、どうしてもそのイメージに引っ張られてしまう。第1楽章を聴けば Ging heut' Morgen über's Feld~と聞こえてくる気がするし、第3楽章の中間部を聴けば Auf der Straße steht ein Lindenbaum~と聞こえてくる気がする。「さすらう~」で描写された青臭い失恋の様子は、別に失恋していなくとも20歳そこそこの若人の耳には痛切な響きを伴って流れ込んでくるのである。

後輩たちの健闘を見届けた後、なんとなく気恥ずかしくてすぐに帰路に就いてしまった。ホール周辺で話していた同期の輪に入ってもよかったはずなのに、なんとなくためらわれてしまった。これは僕の悪い癖である。大学オケにいた頃は団体に対する帰属意識のおかげで、それをよすがとして会話や食事に抵抗なく参加できたのだが、卒業した後はその帰属意識を失ったために、そんな僕がまだかつてのオケの仲間とともにいていいのかわからなくなってしまったのである。……あんまりうまく説明はできないが。
なんとなく色々整理がつかなかったので、阪急電車に乗り、最寄り駅で降りた後に鳥貴族での一人飲みを決行した。価格が良心的で、味もよく、「知多」が置いてあるのが嬉しいからだ。一人でも居酒屋は楽しめるのだが、鳥貴族のようなテーブル席の多い店を選択したのはよくなかったのかもしれない。いくら強がってみても奥から団体客の楽しそうな声が聞こえてくると少しむなしくなる。あと、大好きな鶏皮が品切れで哀しかった。普通に居酒屋で払うのに相応な額を飲み食いして店を後にした。大して酔ってはいないが、酔いを醒ましたような気持ちになりたかったのでコメダブレンドを一杯飲んだ。気分に任せてトリキとコメダに行かなければ、今月の後半はもう少し楽に生活できたかもなあ、と自分の銀行口座の額を思い出しながら考える。

この昨日の堕落した生活はすべてマーラーのせいで心のいちばん繊細な部分に攻撃を加えられたため、ということにしておこう。そして、今日寝坊してしまった原因もそのせいだ。たぶん。

P. S.
明日から修士の院試みたく院試日記をつけてみます。計画的な学習と勉強記録用です。