遥か、もち巾着。

もしもって思ったら何かが変わるわけでもないし

『悪童日記』

アゴタ・クリストフの『悪童日記』を知ったのはある日の音楽学の講義だった。直接音楽に関係するわけではないのだが、『悪童日記』のモデルとなった地域というのは音楽の歴史上注目すべき場所だったのである。

 

さて、『悪童日記』である。主人公は双子の兄弟。第二次大戦で「大きな町」から祖母の住む国境の村に疎開することになる。そこで待っていたのは都会での暮らしと真逆の厳しい生活。祖母からは重労働を強いられ、何度もぶたれる(尤も、祖母はある意味では二人を愛しているし信頼しているのだろうが…)。周りの人々は祖母や双子から距離を置く。双子は痛み、苦しみ、空腹、罵言、貧乏といった試練を知恵と力で乗り越えていく—

 

学校には通えないので、彼らは聖書と辞書で文字と言葉を覚えた。そうして覚えた言葉でルールに従って作文をする。そのルールとは「作文の内容は真実でなければならない」ということ。美しい、親切だ、好き…といった感情を定義する言葉の使用は避け、事実の忠実な描写だけに留めるのだ。こうして書かれたのがタイトル(原題はLe grand cabier、「大きなノート」)が指し示すノートである。つまり、この小説は彼らの日記という形をとっている。

同時に彼らは体を鍛えた。お互いに体をぶちあい、罵言を浴びせ、断食をし、苦痛に耐える練習をする。そうして周りからの圧力に屈しない強さを手に入れる。彼らは生きていくためにはゆすりも盗みもする。戦時下では秩序なんてものはないのだ。

 

淡々とした事実のみを綴った文章は実はどす黒さと狂気を孕んでいる。暴力、犯罪、性交渉— こうしたどろりとしたテーマがさらりと書いてあるのが恐ろしい。とても読みやすいのに、いや、それ故に描かれる内容は暗い影を帯び、ひやりとした恐怖を感じるのだ。この小説の色合いは冷たい灰色であると感じざるを得ない。

登場する主な人物には根っからの善人、という人は殆どいない。しかし逆に誰もが完全な悪人でもない。戦時下だ。双子だけではなく誰もがそれぞれの方法で必死に生きているのだ。

物語の舞台ははっきりとは描かれていないが、多くの人には自ずからどこか分かるだろう。そしてその設定故に全体主義が別の全体主義にとって変わるという歴史の事実も自然と脳裏に浮かぶはずだ。

 

小説は最後、衝撃的な出来事を以て呆気なく幕を閉じる。淡々とただ事実だけを述べた文体のまま。

 

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