遥か、もち巾着。

もしもって思ったら何かが変わるわけでもないし

2020-01-01から1ヶ月間の記事一覧

外に出る

「一人では多すぎる。一人ではすべてを奪ってしまう」と述べたのはウィラ・キャザーであった。これは恋愛についての話で、一途なぼくは「これはないだろ…」と思ってしまうのだが、しかし生活についてこれを当てはめるとなるほど、と思わせられる。 昨年の冬…

『悪童日記』

アゴタ・クリストフの『悪童日記』を知ったのはある日の音楽学の講義だった。直接音楽に関係するわけではないのだが、『悪童日記』のモデルとなった地域というのは音楽の歴史上注目すべき場所だったのである。 さて、『悪童日記』である。主人公は双子の兄弟…

ヨーゼフ・ロートにとってのハプスブルク君主国

ヨーゼフ・ロートはオーストリア=ハンガリー二重帝国支配下のガリツィア地方(現在のウクライナ)に生まれた作家である。今回は彼の著作をもとに、そこで語られるオーストリア=ハンガリー二重帝国、即ちハプスブルク君主国像を考察し、彼のハプスブルク君主…

レニングラード交響曲

ある人は傑作と称え、ある人は単なるプロパガンダと見る作品。ドミトリー・ショスタコーヴィチの《交響曲第七番『レニングラード』》はそう言って良いだろう。 去る日曜日のことだ。京都市交響楽団が「レニングラード」を演るというので足を運んだ。指定ので…

悲愴交響曲

《交響曲第六番「悲愴」》はチャイコフスキーの白鳥の歌となった交響曲だ。その曲調と遺作という事実が人々に様々な想像を駆り立て、学術的研究から俗説まで多くの議論がなされてきた曲でもある。 さて、それはともかくとしてこの曲はぼく自身にとっても大事…