遥か、もち巾着。

もしもって思ったら何かが変わるわけでもないし

秋に淋しき者

夜8時過ぎ、自宅への最寄駅に着いた足は自然に駅前のコメダ珈琲店に向かっていた。家に帰りたくなかった。コメダに逃げ込めば、少なくとも10時までは精神的亡命が許される。

 

3時間ほど時を戻そう。その頃ぼくはまだ横浜にいた。文明と云うのは大したもので、『細雪』の頃ならば8時間以上かかっていた東海道を、2時間半もあれば走破できるのだ。

季節が夏から秋へと変わるこの3日間を、ぼくは東京と横浜で過ごした。いくつかの美術館と演奏会とを梯子し、客観的に見れば文化的生活を満喫した。見るべき点の多い展覧会や作品を愉しみ、佳い演奏に触れた。総体として満足度の高い旅だった。それでも何やら靄がかかったような心持ちになるのは秋の訪れ故なのだろうか。

 

秋は、好きな季節のはずだった。新しい空気と苟且の高揚感を強制する春や、気温と日射で以て心身を疲弊させる夏と違い、秋は常に味方でいてくれる季節だった。そのはずなのに今年はどうも様子がおかしいのである。

原因になりそうなものの一つはいつまで経っても進捗の生まれない、目下執筆中の原稿である。一次資料の収集と分析に関してはそれなりにできるつもりでいるのだが、そこから新しい知見をもたらそうと思うとどうも甘くなってしまう。それがネックでなかなか筆が進まないのだ。こんな調子では先が思いやられるが、自身の課題が見つかっただけよしとしよう。どのみち締め切りまでに仕事はこなさねばならないので泣き言も言っていられない。

しかし以上の現実的課題があるにしても、こんなにも息が詰まりそうなのはちょっとおかしい。例年なら秋の到来とともにましになるはずなのだ。

 

昨年の秋、自分が何をしていたかを考える。勿論修士論文を書いていたのだが、それと同時に思い出深い出来事として記憶されているのは飛騨高山への旅行である。11月の頭、視程に冬を据え、しかしその身は秋に残している飛騨の小京都は美しかった。単に景観が美しかっただけでなく、街の空気と表情が美しかった。鼻から吸い込んだ空気の気温以上の冷たさと、よく澄んだ青空の高さを思い返すだけで今でも涙が出そうになる。あの頃、今と同様に現実的課題を抱えていたはずのぼくは、でも確かに幸福だった—のだと思う。まだ1年も経っていない昨秋があんなにも遠く思えるのは、この1年で自分が驚くほど弱い人間になってしまったからなのかもしれない。

 

外に出れば9月の大阪の空気がぼくを待っている。それは11月の高山と比べれば遥かに暑苦しく、湿り気を帯び、街の喧騒を吸い込んだ空気である。それでも夏の盛りに比べれば幾分柔らかなものになっている。しかし、昨年まで友軍としてぼくのそばにいてくれたはずの秋の空気はそこにはない。彼—或いは彼女は冷静に銃口をこちらに向けている。多分その銃には弾は装填されておらず、引き金を引かれたところでぼくの身に危険はないのだろう。そうとわかっていても、ぼくは常に何かに怯えて生きていかざるを得ないのである。少なくとも、今年の秋は。