遥か、もち巾着。

もしもって思ったら何かが変わるわけでもないし

螢狩

 螢の大群は、滝壺の底に寂寞と舞う微生物の屍のように、はかりしれない沈黙と死臭を孕んで光の澱と化し、天空へ天空へと光彩をぼかしながら冷たい火の粉状になって舞いあがっていた。
 四人はただ立ちつくしていた。長いあいだ、そうしていた。

宮本輝『螢川』より

 近くの国定公園の螢が見頃らしい、と聞いた。僕の下宿は大阪市内に行くのにそこまで不便しない距離にあるが、その一方で15分も自転車を走らせれば滝と渓流を持つ国定公園の入り口に辿り着くことができる。
 午前2時半から始まる新聞配達の前に、その渓流を訪ねてみようと思い立ったのが夜1時頃である。日中の暑さに比べて夜はまだ涼しい。そういえば、まだ6月なのだ。例年より早い梅雨入り宣言とは裏腹に雨はあまり降らず、予報ではやっと来週から雨が続くことになっている。僕は列島が前線に襲われる直前の最も良い気温の夜を、螢狩という風流な行為によって楽しもうとしたのである。

 滝へと続く道を、自転車を降りてゆっくりと歩く。川のせせらぎと河鹿の声だけが聞こえて来る。水面に目を凝らすと、ゆらりと弱い光が立ち上った。
 螢だった。
 大群というほどでもない螢は、しかし川縁のあちらこちらで静かに瞬いていた。ある者はふわりふわりと宙を舞い、ある者は木の葉の上でじっと光っては消えてを繰り返していた。その光はあまりに脆いもので、夜道の安全のためだけに灯っている最小限の街灯さえ邪魔に思えた。それでも十分だった。ゆっくりとした周期の点滅、その光の細さ、揺らぐような飛び方、どれもがこの世のものとは思えない要素だった。
 前に螢を見たのはいつだったろう。たぶん、父の実家の近くだったと思う。その信州の寒村からは遠く離れた地で、こうして螢を見られたことに、僕はなんだか感謝したくなった。
 そんなに時間に余裕を持ってやってきた訳ではなかったので、滝への行程の3分の1ほどで折り返した。川面には、依然として幾つかの光が揺れていた。