遥か、もち巾着。

もしもって思ったら何かが変わるわけでもないし

音楽における「うた」

ここしばらくバストロンボーンを吹けていなかったのでオクラミュートをつけて吹いてみた。消音能力についてはかなりのものだしその割には音程も狂わず抵抗も程よいのだが、いかんせんなれていないので発音はブレるし音も当てにくい。これはミュートのせいというより普段誤魔化せていた自分の癖があらわになったのだろう。反省。

 

さて、この際なので普段時間をかけて取り組む機会のない協奏曲などをさらってみようと考えた。F.ダヴィッド、N.リムスキー=コルサコフ、E.ライヒェ、L.グレンダールなどなど、知名度こそそこまでないものの優れたトロンボーン協奏曲は沢山あるのだ。

普段オーケストラでは旋律よりも和音やリズムの役割が多いこともあり、いざ協奏曲でメロディを吹くとなると不自然な節回しになってしまうことがある。こんなときは一度歌ってみるのである。声を出すと自然なシラブルや息遣いがわかる。あとはそれを楽器で再現するのみなのだ。

書くだけなら簡単なのだが、いざ実践するとなるとなかなか上手くいかない。それはきっと多くの人でも同じことであろう。オーケストラの演奏を聴いていても歌い方が不自然なことはたまにある。

 

ところで、トロンボーンの定番のエチュードの一つにRochutによる『旋律的エチュード(マルコ・ボルドーニのヴォカリーズによる)』というものがある。これは元はヴォカリーズ、つまり歌詞のない歌唱のための旋律なので、奏でる際にはいかに自然な「うた」にするかが求められる。自然に歌うための練習曲と、個人的には捉えている。

 

普段はどうしても楽譜通りの音程とリズムとアーティキュレーションを再現することに必死になってしまいがちだが、「うた」という観点から見直すと楽になることも多いのかな、と思った次第である。