大学図書館の前に1台のごみ収集車が停まっていた。その光景は特段不思議なものでは無いのだが、少し注意して見たところ思わず目を丸くしてしまった。
ごみ収集車に飲み込まれているのは本だったのだ。
そうか、廃棄図書はこうやって処分されていくのか—と思った。
べつに図書館を非難する気は毛頭ない。図書館が新しい書籍を所蔵するためにはスペースを確保しなくてはならないし、処分する本を決めるプロセスもそんな簡単ではないはずだ。複数冊あるとかデータベースかされているとか、そう言った理由で削られることもあるだろう。ただ、ぼくはきちんと装丁されたハードカバーの本が何冊もごみ収集車の中へと放り込まれていくという強烈で分かりやすい光景を前にしてある種の残酷さを感じたという、それだけの話である。
身勝手なことだが、例えばどこかの焼却炉やリサイクルセンターへとコンテナに陳列された状態で輸送される光景だったとしたらそこまでショックは受けなかっただろう。結果としては本が捨てられるということは同じなのだが、今まで図書館に蓄積された知識だったものがごみへと変貌するその瞬間を目の当たりにしてしまったインパクトは計り知れないものだった。
ぼくは紙に書かれた書物とCDを愛しているが、これは電子書籍やストリーミングを否定するわけではなくただ単にその目に見える質量性が好きなだけである。その目の前でこうした光景が繰り広げられたらちょっと悲しくなるのも仕方ないというものだ。そのくらいの感傷に浸るくらいは許してほしいものである。
―そう思うと同時に「こんな単純な日常の事象が一人の人間をここまで考えさせるならば、視覚イメージが人間にできることはまだあるのだ」とも思ってしまった。美術に関わる者として視覚イメージの作用については敏感になっておきたいものである。
今日(7/4)の記録
独文解釈 1h11m
独単語 14m
英文解釈 55m
英単語 27m
美術史(古代ギリシャ) 2h51m
計5h38m