遥か、もち巾着。

もしもって思ったら何かが変わるわけでもないし

変容(院試日記 54,55,56日目)

大学図書館の前に1台のごみ収集車が停まっていた。その光景は特段不思議なものでは無いのだが、少し注意して見たところ思わず目を丸くしてしまった。

ごみ収集車に飲み込まれているのは本だったのだ。

そうか、廃棄図書はこうやって処分されていくのか—と思った。

べつに図書館を非難する気は毛頭ない。図書館が新しい書籍を所蔵するためにはスペースを確保しなくてはならないし、処分する本を決めるプロセスもそんな簡単ではないはずだ。複数冊あるとかデータベースかされているとか、そう言った理由で削られることもあるだろう。ただ、ぼくはきちんと装丁されたハードカバーの本が何冊もごみ収集車の中へと放り込まれていくという強烈で分かりやすい光景を前にしてある種の残酷さを感じたという、それだけの話である。

身勝手なことだが、例えばどこかの焼却炉やリサイクルセンターへとコンテナに陳列された状態で輸送される光景だったとしたらそこまでショックは受けなかっただろう。結果としては本が捨てられるということは同じなのだが、今まで図書館に蓄積された知識だったものがごみへと変貌するその瞬間を目の当たりにしてしまったインパクトは計り知れないものだった。

 

ぼくは紙に書かれた書物とCDを愛しているが、これは電子書籍やストリーミングを否定するわけではなくただ単にその目に見える質量性が好きなだけである。その目の前でこうした光景が繰り広げられたらちょっと悲しくなるのも仕方ないというものだ。そのくらいの感傷に浸るくらいは許してほしいものである。

 

―そう思うと同時に「こんな単純な日常の事象が一人の人間をここまで考えさせるならば、視覚イメージが人間にできることはまだあるのだ」とも思ってしまった。美術に関わる者として視覚イメージの作用については敏感になっておきたいものである。

 

今日(7/4)の記録

独文解釈 1h11m
独単語 14m
英文解釈 55m
英単語 27m
美術史(古代ギリシャ) 2h51m

計5h38m

焦ったところで(院試日記 53日目)

「7月」という字面は「6月」のそれより夏を感じさせるものだ。6月30日と7月1日との間には大きな空白地帯があるのではないか、という気さえしてくる。しかし時間は一定に流れ、6月29日から30日になるのと同じ具合に当たり前に7月1日もやってくる。

 

7月初めの日は演習発表で始まった。この演習は卒論作成とは関係なしに、文化人類学やグローバルアートについて関連する論文を読み、考えるというものである。なかなか読むのに骨の折れる文章に当たってしまったのでここ数日ちょっと大変だったが、まあこれからこういう文章に出くわすことも多いだろうし慣れていかねば、とも思う。

 

さて院試までは3ヶ月を切り、いよいよ焦りが出てきた。加えて試験時間や内容が変更されるようでその点も不安である。ただ、焦って心配したところで結果が変わるわけでもないだろう。それなら余計な事は考えない方がよいので着実に勉強するだけだ。

まあ、それができたら苦労はしないのだが。

 

そして出願だけは忘れないようにしよう…

 

今日(7/1)の記録
美術史 1h52m(ヌーヴォー・レアリスム、ミニマル・アート、コンセプチュアルアートアルテ・ポーヴェラ、プロセス・アート、ランド・アート他)
発表準備 1h

上半期が終わる(院試日記51,52日目)

朝、小雨だったので傘をさして散歩に出かけたら大雨になってしまった。ずぶ濡れである。いやはや梅雨はほぼ明けたとばかり思っていたのだが。そんなことより今年、つまり2020年が半分終わった。齢を重ねるごとに時間は短く感じるものだが、4月以降ほぼどこにも出かけなかったこの半年は特に短かった。加えて通学がなくなったことで生活のペースメーカーを失ったため、自を律する能力がないとこの生活は厳しいことを思い知った。

 

季節は間も無く本格的な夏となる。大学院入試までは3ヶ月を切った。ようやく要綱が出たので読んでみると専門試験内容の書き方が去年までとは変わっている。時間をみると専門試験がひとつ減っている。昨年までとはだいぶ違うようにだ。まあそれでも勉強する事は変わらないし真っ当にやるだけなのだが、試験が馴染みのない形になるのは多少不安ではある。

 

とりあえず1ヶ月程度で

・独文解釈の参考書を一周する

・美術史の英論文(The Art Bulletin, The Burlington Magazineあたり)を3日で1本程度読む

西洋美術史の通史の復習

・美学の基礎知識の定着

を目指します。がんばるぞ…

 

昨日(6/28)記録
発表準備 1h22m
独文解釈 1h9m
美術史(抽象表現主義他) 40m
計 3h11m

今日(6/30)の記録
独文解釈 56m
美術史(ネオ・ダダ、ポップ他) 36m
発表準備 2h46m
独単語 20m
計 4h38m

 

 

半月とマズルカ(院試日記46〜50日目)

ちょっと休んでました。別に勉強をさぼっていたわけでもないし生活が荒んでいたわけでもない。昼夜逆転を改善しようと1週間かけて色々試していたら結果的に更新する時間がなくなっていたのが理由。まあこんなちまちま書いてるブログを心待ちにしている人はいないだろうし、いてもごく僅かだろうからあまり問題はない。

 

さて、夕飯を食べた後はなぜか机に向かうのが面倒になる傾向がある。どうも集中力というのは1日かけてゆっくりと低下しているように思えるし、夜になるとぐんと効率が下がる気がする。それだから午前中から勉強をせねばなあ、と思うのだ。

今日も今日とて、夕飯まではよかったのだが食後はどうも調子が上がらない。しかし演習発表の準備が終わっていないので寝るわけにもいかない。そこで気分転換に散歩に出かけることにした。

 

外に出ると、まるでホールケーキを半分切って食べてしまったかのような半月が浮かんでいた。思わずチーズケーキが食べたくなってしまうほどだ。そんなことを思いながら歩き始めた。そんなに長くぶらぶらするわけにもいかないので川縁の道と住宅街とを軽く歩いて戻ることにした。

 

閑静な住宅街でも耳を澄ますと色々な音が聞こえてくるものだ。風呂を沸かすガスの音だったり、テレビドラマの音だったり。そんな中、聴き覚えのあるメロディが耳に入ってきた。

 

ショパンの4つのマズルカ Op.68、第3番ヘ長調。思わず聴こえてきた先の人家を見上げてしまった。ちょうど隣の家との間に半月が見えた。

夜中、おそらくは子どもが練習しているのだろう。特段達者な演奏ではないし、何度かゆっくりと同じフレーズを弾き直してもいる。

しかし、なんだかそれは奇跡のように思えたのである。見事な満月の下聴こえる素朴で落ち着いたテンポのショパンマズルカは、まるで夢でも見ているかのようだった。

家に帰れば現実が待っている。それでも今だけはちょっと非現実に浸りたい。そう思った。鼻歌でそのマズルカを歌いながら、ぼくは家路に就いた。

 

 

6/24の記録

独単語 1h10m
独文解釈 57m
独文法 13m
計 2h20m

 

6/25の記録

独語予習 1h5m
英語論文 2h10m
独文解釈 49m
独語論文 30m

計 4h44m

 

6/27の記録

独文解釈 1h18m
発表準備 2h
計 3h18m

 

6/28の記録

発表準備 1h22m
独文解釈 1h9m
美術史(メキシコ壁画運動、戦後パリ) 40m
計 3h11m

ステンハンマル記録帳

保有するヴィルヘルム・ステンハンマル(ステーンハンマルとも)作品のディスコグラフィ的なものです。気が向いたら随時説明・感想も書いていきます。内容について、ほぼ個人の感想となっていることはご了承ください。

なお作曲年はhttps://www.swedishmusicalheritage.com/composers/stenhammar-wilhelm/ を参照しました。

スウェーデンノルウェー演奏家が多いのですが、不正確なカナ表記になっているものも多くあるかと思われます。ご指摘があればお寄せください。

 

交響曲

交響曲第1番ヘ長調(1902-03)

ステンハンマルの1作目の交響曲だが、のちに本人により撤回されているため作品番号はない。作風としては随所にドイツ音楽からの影響を感じさせるものの(ホルンを6本使用した編成や第2楽章の途中のコラール風の楽句などはブルックナー的だ)、後の作品を予感させるような純朴さや荘厳さも兼ね備えるように思える。

交響曲第2番ト短調 Op.34(1911-15)

正確にはGを開始音とするドリア旋法。本人が認めた交響曲はこちらのみのため、手持ちの楽譜を見ると単に「Symphoni Op.34」と書かれている。500ページにわたる対位法研究の成果が反映された「華美とは無縁の、謹厳実直な音楽」は、堅実ながら緊張感のある傑作といえる。彼の友人であるジャン・シベリウスがおよそ10年後に発表した《交響曲第6番》には同じくドリア旋法が使われている。この曲がステンハンマルに献呈されているのは偶然か意図的か。

おすすめ盤は1983年のネーメ・ヤルヴィ/ヨーテボリ響。

 

交響曲第3番(断片)(1918,19?)

7ページの自筆譜のみが残る。輝かしい楽句と静寂で緻密な音楽が織り交ぜられた断片を聴くと、これが完成していたら―と思わずにはいられない。

 

協奏曲

ピアノ協奏曲第1番変ロ短調 Op.1(1893)

4楽章制の堂々たるピアノ協奏曲である。23歳の頃の作ということになり、なるほどその楽句はブラームス(例えば《ピアノ協奏曲第2番》、《悲劇的序曲》など)の影響を感じずにはいられないが、その単なる亜流というにはあまりに惜しい作品である。中間楽章の優美な旋律、或いは終楽章のちょっぴり皮肉なフレーズはどうだろう!作曲家でありピアニストであった彼の才能が存分に発揮された作品ではないだろうか。

おすすめ盤は1992年のマッツ・ヴィトルント/ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー/ロイヤル・ストックホルムフィルハーモニー管。

 

ピアノ協奏曲第2番ニ短調 Op.23(1904-07)

ステンハンマルは友人のシベリウスやニルセンの影響もあってドイツ風の音楽から「北欧」へと転じることとなる―とされる。一説によればシベリウスの《交響曲第2番》はその決心の原因になったらしい。確かにこの《ピアノ協奏曲第2番》の終楽章へのアタッカを聴くと些か類似している。とはいえ「誰々の作品と似ている」という語り口でステンハンマルを語るのはあまりに野暮であろう。4つの楽章はアタッカで接続され、ピアノとオーケストラが協和したような素敵な作品である。

おすすめ盤は1992年のグレタ・エリクソン/エフゲニー・スヴェトラーノフ/スウェーデン放送響。

 

ヴァイオリンとオーケストラのための2つの感傷的なロマンス Op.28(1910)

 

管弦楽作品

フローレスとブランセフロール Op.3(1891)

プレリュードとブレー(1891)

2つの歌 Op.4(1893)

序曲「エクセルシオール!(天の高みに昇らん!)」 Op.13(1896)

ストックホルム博覧会のためのカンタータ(1897)

イタカ Op.21(1904)

一つの民族 Op.22(1905)

管弦楽と合唱のためのスウェーデン狂詩曲「冬至祭」Op.24(1907)

セレナーデ Op.31(1908-13,19)

レヴェレンツァ(1911-13)

もともと《セレナーデ》の第2楽章。

アウグスト・ストリンバリの「夢幻劇」への音楽 Op.36(1916)

組曲「ロドレッシの歌」 Op.39(1919)

劇付随音楽「チトラ」Op.43(1921)

交響的カンタータ「歌」 Op.44(1920-21)

交響的カンタータ「歌」 Op.44より間奏曲

劇付随音楽「ロメオとジュリエット」Op.45からの組曲(1922) (Hiding Rosenberg編曲)

 

室内楽作品

弦楽四重奏

弦楽四重奏曲第1番ハ長調 Op.2(1894)

  • フレスク四重奏団 Musica Sveciae 1982年

弦楽四重奏曲第2番ハ短調 Op.14(1896)

弦楽四重奏曲第3番ヘ長調 Op.18(1900)

  • ゴトランド四重奏団 Musica Sveciae 1982年

弦楽四重奏曲第4番イ短調 Op.25(1909)

  • ゴトランド四重奏団 Musica Sveciae 1981年

弦楽四重奏曲第5番ハ長調「セレナーデ」 Op.29(1910)

  • フレスク四重奏団 Musica Sveciae 1981年

弦楽四重奏曲第6番ニ短調 Op.35(1916)

 

その他室内楽作品

アレグロ・ブリランテ

  • パトリーク・スヴェドルプ(Vn.)、インゲガール・キェルケゴール(Va.)、ヘレナ・ニルソン(Vc.)、ルチア・ネグロ BIS Records 1992

アレグロ・ノン・タント(1895)

  • パトリーク・スヴェドルプ(Vn.)、ヘレナ・ニルソン(Vc.)、ルチア・ネグロ BIS Records 1992

ヴァイオリンとピアノのためのソナタイ短調 Op.19(1899-1900)

  • ターレ・オルソン、ルチア・ネグロ BIS Records 1992


ピアノ作品

アレグロ・コンモート・エド・アパッショナート(1988-89)

  • ルチア・ネグロ BIS Records 1992

即興曲(1892)

  • ルチア・ネグロ BIS Records 1992

3つの幻想的小品集 Op.11(1895)

  • ルチア・ネグロ BIS Records 1992
  • 千尋 LIBRO 2009年

ピアノソナタ変イ長調 Op.12(1895)

  • ルチア・ネグロ BIS Records 1992

即興的ワルツ(1895)

  • ルチア・ネグロ BIS Records 1992

3つのピアノの小品(1895)

  • ルチア・ネグロ BIS Records 1992

間奏曲(1898)

  • ルチア・ネグロ BIS Records 1992

晩夏の夜 Op.33(1914)

  • ルチア・ネグロ BIS Records 1992

  • イレーネ・マイハイマー Sterling 1989年

 

更新履歴

2020/06/23 ページ開設

2020/06/24  
《ヴァイオリンとオーケストラのための2つの感傷的なロマンス》にヘニング・クラッゲルード/ビャルテ・エンゲセット/ダラ・シンフォニエッタ(2011)盤を追加。

2020/11/22

《ヴァイオリンとオーケストラのための2つの感傷的なロマンス》にトビアス・リングボリ/ニクラス・ヴィレン/スウェーデン室内管弦楽団(1997)盤を追加。

弦楽四重奏曲第3番》、同《第4番》の項を作成。ゴトランド四重奏団(1981/1982)盤を追加。

弦楽四重奏曲第5番「セレナーデ」》の項を作成。フレスク四重奏団(1981)盤を追加。

弦楽四重奏曲第6番》の項を作成。コペンハーゲン弦楽四重奏団(1981)盤を追加。

2020/12/23

《劇付随音楽「チトラ」》にネーメ・ヤルヴィ/ヨーテボリ交響楽団(1989)盤を追加。

2021/02/03

《ピアノ協奏曲第1番》に丹千尋/渡辺新/オーケストラ・ナデージダ(2009)盤を追加。

《3つの幻想的小品集》の項を作成。丹千尋(2009)盤を追加。

2021/03/11

交響曲第2番》、《序曲「エクセルシオール!(天の高みに昇らん!)」》にペッター・スンドクヴィスト/ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団(1993)盤を追加。

2021/03/15

ストックホルム博覧会のためのカンタータ》の項を作成。トマス・ダウスゴー/ストックホルム放送交響楽団他(1996)盤を追加。

《一つの民族》の項を作成。グスタフ・シェークヴィスト/スウェーデン放送交響楽団他(1991)盤を追加。

2021/04/03

交響曲第2番》にスティグ・ヴェスタルバリ/ストックホルムフィルハーモニー管弦楽団(1978)盤を追加。

《プレリュードとブレー》、《イタカ》の項を作成。ハンヌ・コイヴラ/イェヴレ交響楽団他(2008)盤を追加。

フローレスとブランセフロール》、《セレナーデ》、《交響的カンタータ「歌」より間奏曲》にハンヌ・コイヴラ/イェヴレ交響楽団他(2008)盤を追加。

2023/08/28

ピアノ協奏曲第2番》にアンデシュ・シルストローム/ハンヌ・コイヴラ/イェヴレ交響楽団 (1994)盤を追加。

《ヴァイオリンとオーケストラのための2つの感傷的ロマンス》にアーヴェ・テレフセン/スティーグ・ヴェステルバリ/スウェーデン放送交響楽団(1971)盤、アンデシュ・シルストローム/ハンヌ・コイヴラ/イェヴレ交響楽団(1994)盤、ペール・エノクスン/広上淳一/ノールショピン交響楽団(1993)盤を追加。

《交響的カンタータ 「歌」》にシェール・インゲブレトセン/スウェーデン放送交響楽団(1981)盤を追加。

1953年、モスクワ 。(院試日記 45日目)

ぼくはモスクワ のバウハウスにいた。1933年にナチの圧力で閉校したバウハウスは戦後、ソヴィエト連邦・モスクワに移り蘇生していた。ぼくはそこに1953年から55年にかけて在籍していた。教員陣はカンディンスキー、モホリ=ナジ、アルバースらのドイツ時代のマイスターが見られた。建築部門の主任はマルト・スタムだった。

1956年。ぼくとバウハウス教授陣を乗せた飛行機は大阪へ向かっていた。飛行機は伊丹空港への着陸に失敗するが、大事には至らなかった。帰国が困難になったことで大阪の地には近代建築が建ち並び、その一大拠点となったのである。

 

—という夢を見た。いくら専門とはいえ夢にまでバウハウスが出てくるとは思わなかった。そもそもなんでソヴィエトに移動しているのだろう。共産主義者の2代目校長ハンネス・マイヤーがデッサウ市から解雇されずにそのまま職を続け、ナチの圧力を受けた際にバウハウスごとソヴィエトに移動したとかそんな感じなのだろうか。それにしてもカンディンスキーやモホリ=ナジがそれについていくとも思えないのだが…しかも1953年時点で両氏は故人である。夢とは誠に不思議なものだ。

とはいえその内容が面白かったので別に良い。以前北の某国が大阪に核ミサイルを飛ばした際には思わず飛び起きたし。夜くらい平和な夢を見させて欲しいものである。

 

今日の記録(6/23)

独語予習 2h2m
独文解釈 1h
美術史(戦間期社会派芸術、全体主義の芸術) 22m
計 3h24m

4年間の休息(院試日記 43,44日目)

大学生活の意味を学業や研究以外に費やすことは真面目な学生からしたら許し難いことなのかもしれないが、個人的にはそれはそれでアリだと思う。そしてそんな大学生にちょっとした憧れさえ抱く。

 

勉強に疲れたので本棚にあった江國香織の『東京タワー』を適当なページから読み直した。ぼくとはまるで違う、淡い色合いの、でも大学生らしい大学生。こうなりたいとは決して思わないが、こんな小説を書いてみたいとは思った。

こういう小説、例えば宮本輝の『青が散る』だとか伊坂幸太郎の『砂漠』だとか、そういうものを読むとぼくの大学生活はなんと「無」だったのだろう—と虚しくなることがある。決して何もしなかった訳ではないのだが、あまり他人が見て面白いものではなかっただろう。それが悪い訳ではないだろうが、なんだか損をした気分である。

周りの人々が就職したり資格を取ったり、そういう面で一歩社会へ進んでいるのを見るとなんだか自分はまだこの大学という聖域から出る気になれていないのかもしれないと思ってしまう。そろそろ院に行った後のことを含めたこれからについて考えた方が良いのかもしれない。

 

昨日(6/21)の記録

研究関係 57m
独文解釈 1h9m
単語復習 1h16m
発表準備 48m
美術史(ドイツ表現主義、ダダ、未来派、ロシアアヴァンギャルドシュルレアリスム) 1h34m
計 5h44m

 

今日の記録

美術史(デ・ステイルバウハウスアール・デコル・コルビュジエ他) 50m
独文解釈 1h38m
20C思想史 30m
単語とか 30m
計 3h28m

 

もう6月下旬になってることに気づいて病みそうである。