遥か、もち巾着。

もしもって思ったら何かが変わるわけでもないし

1953年、モスクワ 。(院試日記 45日目)

ぼくはモスクワ のバウハウスにいた。1933年にナチの圧力で閉校したバウハウスは戦後、ソヴィエト連邦・モスクワに移り蘇生していた。ぼくはそこに1953年から55年にかけて在籍していた。教員陣はカンディンスキー、モホリ=ナジ、アルバースらのドイツ時代のマイスターが見られた。建築部門の主任はマルト・スタムだった。

1956年。ぼくとバウハウス教授陣を乗せた飛行機は大阪へ向かっていた。飛行機は伊丹空港への着陸に失敗するが、大事には至らなかった。帰国が困難になったことで大阪の地には近代建築が建ち並び、その一大拠点となったのである。

 

—という夢を見た。いくら専門とはいえ夢にまでバウハウスが出てくるとは思わなかった。そもそもなんでソヴィエトに移動しているのだろう。共産主義者の2代目校長ハンネス・マイヤーがデッサウ市から解雇されずにそのまま職を続け、ナチの圧力を受けた際にバウハウスごとソヴィエトに移動したとかそんな感じなのだろうか。それにしてもカンディンスキーやモホリ=ナジがそれについていくとも思えないのだが…しかも1953年時点で両氏は故人である。夢とは誠に不思議なものだ。

とはいえその内容が面白かったので別に良い。以前北の某国が大阪に核ミサイルを飛ばした際には思わず飛び起きたし。夜くらい平和な夢を見させて欲しいものである。

 

今日の記録(6/23)

独語予習 2h2m
独文解釈 1h
美術史(戦間期社会派芸術、全体主義の芸術) 22m
計 3h24m