遥か、もち巾着。

もしもって思ったら何かが変わるわけでもないし

ブログを書いていて思い出したこと

このブログを書いていて、「以前にもこんなどうしようもない文章を書いたことがあった」と思い出した。高校二年の冬から時々つけていた手記である。

 

日記、と言っていないのは書きたいときに書いていたから。毎日書いていた時期もあれば、長い間放置していた時期もある。内容はといえば当時していた片想いとか、悩み事とか、そんなことである。まあ、中心は片想いについてで、そのことが妙に凝った分かりづらい修辞で綴られている。

 

媒体はA6のツバメノートにゼブラの黒いサラサ。ぼくはこれを常に鞄に入れ、人目につかないところで書いていた。

 

酷いのは手記の名前である。一冊めは「残雪記」。これは好きだった子の名前に由来する。大学入学直前の三月に下ろした二冊めは「雷鳥抄」。これは金沢〜大阪間で運行されていた特急・雷鳥に由来する。その人とぼくの進学先の土地だ。内容を見るまでもなく、あまりにも痛すぎる。そしてあの頃あんなにもぼくの心を悩ませていたあれこれは既に消滅して、思い出という名前の元に美化されている。実際、「雷鳥抄」は半分を過ぎたところで止まっている。

 

きっと今悩んでいることだっていつかは過去になるのだろうし、このブログも痛い思い出となるのだとは思う。そう思うとなんだか悲しいし、でも可笑しい。

 

とはいえ、二冊のノートは未だに本棚の片隅に置かれている。未だに「あの頃」が通奏低音となっているのだろうか。結局ぼくは何も変われていないのかもしれない。