遥か、もち巾着。

もしもって思ったら何かが変わるわけでもないし

五月のせい(院試日記 9日目)

先日、この動画を見ていたら泣いてしまった。
A Fluffy Polar Bear/ふわふわのくま

 

「ふわふわのくま」はTwitter上ではちょっと緩めでほほえましい画像を主に展開している(はずである)のだが、この絵本を基にした動画はちょっぴり切なくてでも暖かくて、再生してから小1時間ほど心がやられて泣いたりぼーっとしたりしてしまった。

家族や友人に囲まれた中から急にひとりぼっちになり、孤独を乗り越えて新しい出会いとともにまたもとのところへ帰ってくる― いい話であることは明らかなのだが、なぜここまで寂しくなってしまったのかはわからない。ただ、疲れ切った現代人の心には非常に深く長く響いて、それで涙が止まらなくなってしまった。

 

最近、自分が何をやりたいのか、これから何をしたらいいのか急にわからなくなってしまって少し病んでしまっていた。大学院に行くと決めたならば勉強をすべきなのはわかっているのだが、本当にこれでよかったのか不安になってしまったのだ。挙句にはなんで生まれてきてしまったのだろうとか、消えてしまいたいとか、そういうことを考えてしまう。

こんなことをいうと親に申し訳ないだろとか命を大切にしろとか言われそうだが、そんなことは承知しているのである。そもそも今の時点でかなり親不孝ではあると思っている。ただそれと同時に頼んでもいないのに勝手に盛って生んでんじゃねえよとも思ってしまう。要するにぼくはゴミみたいな思考しか持ち合わせていない。そもそも生まれてこなければ生きなくてよかったのだから。

 

院に行くにせよ、就職するにせよ、大多数の人間はそういう社会の中で生きていくことを当たり前だと考えていて、何もせずただ生きるだけというのは邪道だとみなされる。ほんとうならみんなカネと時間を気にせず生きていきたいのだろうがこればかりは仕方がない。資本主義社会はベストかどうかは知らないが、現時点ではベターなのだろうから。

 

そんな現実から逃れたくて、昨日は安ウイスキーを炭酸水で割って飲んだ。酔うためだけに、そして早く眠りに就くために。デュワーズはこの価格帯のウイスキー(ホワイトホースとかティーチャーズとか)の中ではまだ美味しいほうだと思っていたのだが今日はやけに苦い。こんな味だったっけ。

 

そんなわけで目覚めは決して良いものではなかった。きっと全部5月のせいなのだ。

言ってる暇あったら机に向かおうな、自分。

 

今日の記録

独語(現在完了続き) 1.5h

研究関係 1h

計 2.5h

 

心がやられていたとはいえこれはひどい