遥か、もち巾着。

もしもって思ったら何かが変わるわけでもないし

帰郷

二年ぶりの故郷は冬の中にあった。
大阪からおよそ四時間半。新幹線と特急とを乗り継ぐと、盆地の真ん中に人口二十万余の中都市がある。ぼくが高校卒業までを過ごしたのは、そんな都会と呼ぶには大袈裟だが、田舎と呼ぶには大きすぎる街だった。
元日昼頃に街を散歩しようと家に出た。太陽が一番高い時間だというのに気温以上に空気は冷たいし、日陰には雪が残っていたし、路面のあちらこちらには氷が張っていた。まずは通りを北へ北へと進み、坂を登った上の母校へ向かった。昭和のはじめに建てられたネオゴシックふうの校舎と講堂はなかなか立派なものだが、「タイル落下の危険あり」の張り紙がその満身創痍ぶりを示している。高校三年間は、改めて考えると短いが、どこを切り取っても眩しい思い出に満ちていた。卒業して五年も経つのだ、そんなノスタルジーに駆られる歳になってしまった。校舎の周りをぐるりと一周し、母校を後にする。
校門の前から下る坂を下ると、城の手前に辿り着く。この街一番の文化財である天守閣だが、ぼくにとっては見慣れた景色の一部だった。何しろこの市街地で小学校から高校まで過ごしたのだから。城の敷地内を横切り、大通りに向かう。川を越えるともう駅前から続く大通りと交差する。つくづく、この都市は小さくまとまっていると思わされる。新年早々開いている店はそこまでないが、一軒やっている喫茶店を見つけた。高校時代から店名は知っていたが、ついに入る勇気は持てなかった店だ。ビルの二階にある小さな店で、カウンターには常連らしいおじいさんやおばあさんが座っていた。テーブル席につき、コーヒーと抹茶のロールケーキを頼む。気のいいおばちゃんが一人で切り盛りしている店らしい。常連客の一人がワインをお年賀として渡していたり、別の人はおはぎを渡していたり、何やら温かい気持ちになるそんな店だった。小一時間ほど体を休めたところでもう一度散策に出る。川縁に沿って細く延びる商店街のそばに大きな神社がある。ぼくは毎年そこに初詣に来ていたのだ。参拝の列は参道から商店街を経て橋の中ほどまで伸びていたため、行こうかどうか迷った。しかし、時間ならたっぷりある、と思い直しその列に加わった。商店街は近年観光地化に成功した甲斐もあり、なかなか賑わっていた。煎餅屋、鯛焼き屋、玩具屋、どこも人がいっぱいだ。縁起物や食べ物の屋台も並び、ちょっとしたお祭りさながらの雰囲気である。三十分ほどで本殿に辿り着く。願い事をここに書くのは無粋なので割愛、である。おみくじは中吉。悪くはないのでよしとする。
そうこうしているうちに日も暮れてきた。この街の冬の夜は寒い。早いところ家に帰ろう。

帰郷するたびに、こんな感じで街を散策してしまう。変わっていくものと変わらないもの、どちらもある—なんて月並みな感想しか出てこないのが恥ずかしいが、とりあえずこの街はぼくの郷里であることに変わりはなかった。翌日には高校の友人と思い出話や近況報告に花を咲かせた。今年一年、ちょっとは頑張ってみるか……そう思った帰省だった。