遥か、もち巾着。

もしもって思ったら何かが変わるわけでもないし

気にしなくなると思っていたものを気にするようになっていたよ

大学に入ってつくづく思うのは、歳を重ねれば気にしなくなると思っていなかったことが逆にもうどうしようもないものとしてのしかかってきている、ということだ。容姿とか、実家とか、能力とか。そういう先天的なものの大切さを身を以て実感するようになってしまった。

 

人間顔じゃないよ、みたいな話はそれを上回る才能とか人格とか経済力とかがあることが前提の話であろう。言葉通りに受け取ると、何も考えずにいつか報われる時を信じてのうのうと生きてきた醜い男・二十歳が完成する。かわいい女の子というのは多かれ少なかれ自分がかわいいことに気づいているのだろうな、と思う。意識していなくても仕草・服装がかわいげのあるものになっていく。整った男もそうであろう。そしてそれ以上に「かわいい子は何をしてもかわいい」、「ただしイケメンに限る」という言葉は大変に説得力がある。世の中は残酷である。

 

ぼくの出身は田舎の真ん中にぽっと広がった盆地のそのまた真ん中にちんまりとした市街をもつ地方都市で、完全な田舎ともいえないし都会ともいえない。暮らしやすい街ではあったが、そんな中途半端さがぼくには厭だった。美術館も常設オーケストラも上位大学もない。 文化の面での基盤が都会とは桁違いなのである。東京だったら、大阪だったら、名古屋だったら…といった気持ちがないではないのだ。

 

以前、ふと自分と比較的親しい大学の知り合いについて考えてみたところ親が社長・役員・教授・医者といった社会的に地位の高い人が多いことに気付き、愕然としたことがある。いや、たまたまかもしれないのだが、たまたまだとしてもショックを与えるには十分すぎた。ぼくはおよそ三十年、公立小学校で教員をしてきた父親を尊敬しているし恥ずかしいと思ったことはない。然し、どうしてぼくだけが…と残酷なことに思ってしまうのだ。

 

ぼくが後天的努力でなんとか獲得できる最大のものは、汚い話だが学歴であった。高校のころは思いもしなかったのだが、そこそこの大学に入れたことは卑しくも自尊心を保つことに繋がっている。

 

まあ、こんなゴミみたいな自尊心なら失った方が今後のためになるだろうな、とは思うのだが。