遥か、もち巾着。

もしもって思ったら何かが変わるわけでもないし

恨み節

高校の友人と夜の新宿を歩いていたら、彼がこんな事を言い出した。

「何事にも理由があるなんてことはない」、と。

ここでいう「理由」とは、原因ではなく動機とか目的とか意味のことだ。実際そうだと思う。別に地球が回るのも、冬の気温が低いのも、僕が生まれてきたことも、原因はあれども目的や意味はない。友人はおそらくそれを科学的なアプローチから導き出したのだろう。僕もまた、「人間は目的を見出せない現象を『神の仕業』と定義してきたが、それはつまりそうでもしないと意味を見出せないからであろう」と考え、同じ結論に達した。意味のないことなんて世の中にたくさんある。

 

今日もぼくは楽器の運搬のために朝から夜まで拘束された。たとえ自分が参加していない曲の練習でもぼくは楽器を運ばねばならない。重い楽器を積み下ろしし、搬入出しなければならない。それが仕事なのだ。今日は朝八時半から夜九時まで働いた。ただでさえ練習で疲労しているのに楽器を運ぶ。その傍を練習終わりの団員が歓談しながら帰る。心が切なくなる。

くたくたの身体をなんとか家まで歩かせ、twitterのタイムラインをみると、練習終わりの楽しそうなご飯の画像が多々見られる。噫、タイムラインなんて見なければよかったのだ。ぼくらが疲れた目で階段で楽器を降ろし、ハイエースに楽器を積み、倉庫に片付け、車を駐車場に戻す間、みんなは食事を楽しんでいたという事実。この虚無感と孤独感は一体なんなのだろう。

別に咎める筋合いはないし、それが悪いことだとも思わない。ましてや手伝って欲しいとも思わない。ただ、ちょっと不遇だなと思うだけだ。

 

きっと、この扱いの雑さにも理由はないのだろう。