夜9時を回ってようやく今日の「クラシック音楽館」でラフマニノフの交響曲第2番をやるということに気付いた。
ぼくが愛する交響曲の1つである。
4年という決して長くはないオーケストラ経験のなかで2回演奏する機会に恵まれたという「思い出補正」があることは否めない。ただ、この曲が数ある交響曲の中でも比肩しがたい華麗な旋律と息をのむような構成美に満ちていることは否定しがたいだろう。
その数々の歌心溢れる旋律だとか、まるで1台のピアノを鳴らすかのようなオーケストレーションだとか、「怒りの日」の主題だとか、或いは終楽章での見事な伏線回収だとか、そんなことは手垢がつくほど述べられてきたことだろう。今更ぼくが言うまでもない。ぼくが言えることはただひとつ。静かにこの交響曲に耳を傾けてごらん―ということだ。
1回生の冬、故郷へと向かう特急しなの号の車内でこの曲を聴いていた。20日後にはステージの上で演奏することになる曲である。まだ20にも満たない若造が演奏するにはあまりに偉大過ぎる作品。なんとなくたじろぎながら楽譜に向かう日々であった。列車は恵那山トンネルを抜け、信州へと入った。白く染まった山脈と今にも凍えそうな木曽川。狭く急峻な地形はラフマニノフの育ったロシアの大地とは全く異なるものである。ただ、信州という土地は白樺のざわめきが聞こえるところだった。祖国を離れたラフマニノフは「もう何年もライ麦のささやきも白樺のざわめきも聞いてない」ことを理由に作曲への意欲を衰えさせてしまったという。ぼくは彼の愛した白樺のざわめきに近いところにいる―そう思うとなんだか頑張れそうな気がしたのである。
音楽と個人の経験は切り離して考えるべき場面も多かろうが、それはそれとして1つ1つの思い出自体は大事にしまっておいて、時々取り出したり抱きしめたりしたいものである。そのくらいはしても罰は当たらないだろう。
今日(5/24)の記録
独語(比較級・最上級) 1.5h
研究関係 2h
英語 1h
計 4.5h