遥か、もち巾着。

もしもって思ったら何かが変わるわけでもないし

やりたいこと、やるべきこと

別にタイトルは折木奉太郎の影響を受けたわけではない。

一応形の上では新しい生活が始まって4ヶ月経つが、別に見える景色が変わったわけではない。同じ研究室で、そんなに変わらないテーマを掘り下げている。
とはいえあまりにやるべきことをやらなさすぎた。何度も書いているように、院進は自分の意思である。なればやるべきこととやりたいことは本来一致して然るべきなのだ。ところが僕はほぼこの4ヶ月を無為に過ごしてしまった。

読んでいるはずの英語ないしはドイツ語の論文は頭に入ってこず、途中で放棄してしまう。読むべき文献は棚にずらりと並んでいるのになかなか手をつけられない。これではいけないと思った。
一昨日から、図書館で取り寄せた一本の英語論文を馬鹿みたいに丁寧に読んでみた。ほぼ全訳しながら、時間をかけて。

僕にはつまらないプライドがあった。小、中学生時代は優等生として過ごし、高校の成績はそこまで良くなかったが運良くそこそこの大学に合格し、大学院にまで来てしまった。今更英文をバカ丁寧に日本語に置き換えてから理解するなんて恥ずかしいと内心思ってしまっていたのだ。ところが、僕は運がいいだけの人間でそこまで英語ができる訳ではない。素直に敗北を認めた方が身のためなのだ。周りからは何と言われるかわからない。バカにされるかもしれない。それでも、必死にルーズリーフに訳文を書いた。我ながら非効率だと思う。でも、格段に内容理解ができるのである。今まで背伸びをしていたせいでいかにかえって遠回りをしていたかを思い知った。

僕は目下中東欧のアヴァンギャルドについて—特にドイツ、チェコスロヴァキアソヴィエト連邦の建築の分野における繋がりに興味を抱いている。愚直な論文を読んでいたら、久しぶりに論文を読んでいて面白いという感覚が舞い戻ってきた。次に読むべき文献の目星もついてきた。まだ僕は頑張れる、そんな気がした。