遥か、もち巾着。

もしもって思ったら何かが変わるわけでもないし

青春(修論日記 7-8日目)

大阪・福島はザ・シンフォニーホール。普段は開演時間までに暇を潰すための文庫本が鞄の中にぶち込まれているものなのだが、今日に限ってそれが無い。仕方なく、ファイルに入れてあったホチキスで留められた10枚ほどの紙束を眺める。独文の演習で読むツヴァイクの『昨日の世界』のコピーだ。時折スマートフォンに入れてある独和大辞典のアプリを参照しつつ、文章を軽く読む。冒頭は「大戦までは、この安全の世界、この国(ハプスブルク君主国)が続くものと信じて疑わなかった」というような内容から始まる。この頃—一次大戦の後—のオーストリア文学に漂う気風は、ある程度一致するものがあるように思える。ムージルの『カカーニエン』にしろ、ロートの『皇帝廟』にしろ。巨大な共同体と秩序の喪失、それが根底にあるのだろう。僕は、そこから紡ぎ出される、不安定な平和の儚さを愛していた。
そうしているうちに奇妙な和音進行のパイプオルガンの響きが聞こえる。関西に来て6年、未だにこのホールの予ベルには慣れない。いそいそと鞄に紙束を仕舞い込む。
本日のメインはプロコフィエフ交響曲第5番プロコフィエフ交響曲の中ではおそらく最も有名で最も人気のある作品であろう。実際、高校時代にこの曲に出会った僕は、彼特有の語り口の虜となり、何度も何度も聴き直したものだ。
人気作とはいえ、実演で同曲を聴くのはおそらくまだ3回目程度である。プロコフィエフ交響曲の実演機会は案外少ない。他に聴いた記憶があるのは7番「青春」が2回と1番「古典交響曲」が1回—その程度である。

交響曲第7番「青春」、これも密かなお気に入りの曲だ。僕は単純な人間である。あの最終楽章のような曲調が大好きなのだ。そしてさらに単純なことに、「青春」という副題も気に入っている。これはソヴィエトの青少年に捧げた曲、という意味合いであり、別に青年時代を描いた作品ではない(と思う)。しかし、交響曲の副題につけるには文字通り青臭い2文字はなかなかイカしていると思ってしまうのだ。
ところで「青春」といえばプロコフィエフの7番と同じくらい好きな作品がある。ヤナーチェク木管六重奏曲「青春」だ。この第3楽章—ピッコロが行進曲ふうの旋律を奏でる—は、同作曲家の《青い服の少年の行進》が元になっているのは有名だが、この曲の元となっている体験は、どうやら1866年の普墺戦争なのだという。当時ブルノの修道院にいた彼は「プロイセンの軍楽隊による、眩暈のするようなブリキの小太鼓のロールとその上で金切り声を上げる甲高いピッコロ」を聴く*1。当時12歳のレオシュ少年の目に、自分の街を太鼓を鳴らしながら行進する外国の軍隊の姿はどう見えたのか— そう考えると、この楽しい音楽はなかなかオソロシイ音楽にも聴こえてくる。

齢23になる僕は、もう青春と呼べる歳では無いだろう。ところが精神的には悲しい哉、高校生くらいから成長していないように思えてならない。高校や大学の同輩たちが新天地で活躍したり、人生におけるステップを確実に上がっていったりしている一方で、ひとり大学に残っている自らのことを考えると、僕だけが未だに青春の焼き直しに執着しているような、そんな気持ちになってしまう。なんとなく、惨めな気持ちになる秋の夜である。

*1:VOGEL, Jaroslav, Leoš Janáček, p.299, 1997, Academia, Prague.